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次郎おじさんの正体

水曜倶楽部を主催する次郎おじさんとは一体何者なのでしょう。

次郎おじさん 誕生~大学生活

1953年、某県某郡某町(現某市(平成の大合併のおかげで、「某」も「某」も「○○風土記」に起源を持つ由緒正しい地名でありますから、自信を持って残してほしかったのですが、妥協の産物でひらがなの「某」に落ち着いたようです))の田舎で生まれる。
O型のおうし座。
3人きょうだいの末っ子。

小、中学校時代は、勉強がそこそこだったので、優等生の部類。
それが性格形成には禍(わざわい)した。
田舎の言葉で「偉そぅ張り(えらそぅばり)」。
これは今でもそうで、なんでも知ったかぶりしたい性格。
だから、おだてられると、嘘でも喜ぶ。
正直というか、単純そのもの。
それに、気が短いときているから手に負えない。

高校は地方の「名門」高校に進むが、成績はそこそこで、優等生からは脱落。
そのため、その後、次郎おじさんのことを、だれ言うとなく、出身高校をもじって「タツノオトシゴ」という。

大学で長いこと(実に9年間も)「心理学」を学び(ちゃんと学んだんかいな)、今でいう「臨床心理士」を目指して、大阪は泉州の某精神病院(その筋では有名な問題があった病院です)で修行を積み始める。
(この時代にかわいがっていただいた諸先輩には、いまだに「次郎」「次郎」とかわいがっていただいております。ありがたいことです。)

次郎おじさん 障害者福祉の世界へ

ところが、ある理由で就職を急がねばならなくなり、しぶしぶ求職活動をすることになる。
1981年1月、本人の気持ちが固まらないうちに、あれよあれよという間に話が進み、気が付いたら某県の職員(公務員)となっていた。

それでも最初は「心理判定員」という心理職。
そこで「福祉」と出会い、最初は心理一本だったのが、だんだん心理職を離れていく。
(この頃に関係のあった人々は、次郎おじさんのまさに「人的財産」。いまだに何かとお付き合いしていただいております。これもまた、ありがたいことです。)

そして、1988年4月、「このままではいかん。俺にはやるべき仕事が他にあるはずじゃ!」との妄想を抱き始め、ちょうどその頃、今から思えば騙されて、「某市社会福祉事業団」に流れ着く。
そこでも、最初は「心理療法士」として働いていたが、途中から障害者支援施設に「相談部」なるものを作るように命じられて、本格的に心理職から離れ出す。
(このとき取り組んだ仕事が、某市の施設に現在の「地域生活支援部」の基礎を創り、同じく某市の「障害者雇用支援センター」設立のきっかけとなったと、密かに自負しているのです。しかし、この「某市障害者雇用支援センター」は、今では「職業自立センター某」という障害者就業・生活支援センターに変身しており、制度変更のため全国的にも「障害者雇用支援センター」は絶滅しました。)

そこで待ち受けていたのが「左遷」の憂き目。
1986年4月、言いたいことを我慢できない性格が禍し、事なかれ主義の上司から引導を渡されて、相談部のチーフの夢も破れて、障害者デイサービス施設に流れ着く。
(その当時は「左遷」と正直思ったのですが、「転んでもただでは起きんぞ」の精神で新しい職場でも次々と課題に出会い、特にそれまで経験できなかった重症心身障害者援助の経験ができ、専門性に幅ができたと喜んでおります。)

その時の上司の言い種が、「お前はどろどろとした相談者との関係を知らないから、経験して来い」であり、新しい職場の上司の言い種は、「お前が管理職になりたいなら、ここで人事管理の修行をしろ」だった。
(あの上司は、心理の仕事がクライエントとのどろどろとした関係なくして成り立っていると思っていたのかしら?)

「心理検査ができる指導員」などと、わけがわからないことを言いつつ、苦節3年。
さらに。管理職となって2年。
最初は一指導員から修業を始め、若い優秀な部下に恵まれたおかげで、充実した仕事の日々を送る。
(今だから言いますが、そう言った上司たちこそ「どろどろとした関係を知らない」し、「部下もきちんと育てられない」、はっきり言って「超お馬鹿な」管理職たちでありました。)おおおおええいいいい

次郎おじさんの決意

最初から数えると、もう20数年も、障害者福祉の世界に生きてきた。
ところが昨今、この世界は「社会福祉基礎構造改革」などという予想もしなかった大嵐に見舞われており、この先どうなるか、風前の灯火。
(この後、支援費制度の導入を経て、悪名高き「障害者自立支援法」の制定・施行へと進んだ現場の混乱は、皆さんご承知のとおりです。)

「このまま埋もれてなるものか。これからの福祉を支える若者たちを育てるぞ!!!」
またぞろ妄想がぶり返し、2001年4月、2回目の転職に踏み切った。
(余談ですが、次郎おじさんが失望した某市が、どうも新しい障害者デイサービスセンターを計画しているようです(2004年5月にオープンしました)。今回もまた、蒔いた種が芽を出し、花を咲かせる日を見ることができませんでした。これからは、次郎おじさんのことを「サルカニ合戦のカニ」と呼びましょう。)

はてさて、今回の決断が吉と出るか凶と出るか。
それは見てのお楽しみ。
そろそろ腰を落ちつけなければならないことは重々承知しているのだが、まだまだ懲りずに、すぐにかっかと燃え上がり、いろんなところで物議を醸し出している。
このサイトも、先の偉そぅ張りの性格から開設したが、もしかしてまたぞろ物議を醸し出すかも…。
でも、まあいいか…。

次郎おじさんの別名

話はかわりますが、次郎おじさんは「二度目は呼んでもらえない講師」で有名です。
理由は簡単。何でも正直に話してしまうからです。
主催者に不都合なことでもばらしてしまいますから、心当たりのある主催者には耳が痛い。
そこで、そのような主催者は、次郎おじさんには、二度目のお呼びをかけません。

その典型は、次郎おじさんが以前勤めていた某市社会福祉事業団とその親方の某市です。
この2か所からは二度はおろか、辞めてから一度もお呼びはかかっておりません。
とことん嫌われている証拠に、ある時、某所で某市の大幹部にお出会いしたとき、その方から「やあ、きみはまだ害毒を流し続けているのかね」とのご挨拶をいただきました。
(その一言の衝撃で、その帰りに自家用車の自損事故を起こしたほどです。)

でも、次郎おじさんは何でもばらしてしまうだけではありません。
正直に課題を指摘しますが、必ずその対応策も提案します。
ですから、このことがわかっている賢明な依頼者からは、二度目どころか何度も呼んでいただいております。 

おっと、またまたキーボードを打つ手がすべりました。
この辺にしておかないと、某市の街を歩けなくなりそうです。

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